『視差』という作品そのものについても、分かる範囲で調べた。台本と、当時のわずかな記録から読み取れる限りでは、これは二人の登場人物が同じ一つの出来事を、それぞれ別の位置から語り直していく構成の芝居だったらしい。片方が見ている光景と、もう片方が見ている光景が、少しずつずれていく。眼帯の女性は、その二人のあいだに立って、相手が自分の見ているものを本当に選んだのかを問い続ける役どころだった。あの台詞は、劇中で一度だけでなく、場面を変えて何度か繰り返される。同じ言葉を、相手を替えて投げかける。そういう作りの役だった。
私は、この公演を観たという人の感想がどこかに残っていないかと、当時のブログや掲示板をひとしきり探してみた。だが、まとまった観劇記のようなものは、ほとんど出てこなかった。二百人足らずの観客のうち、この芝居についてわざわざ何かを書き残した人は、数えるほどしかいなかったらしい。かろうじて見つかった短い感想も、「実験的でよく分からなかった」「眼帯の役の人が印象に残った」という程度のものだった。公演は、静かに始まって、静かに終わっていた。
念のため、当時この劇団の周辺にいた人に話を聞いた。地元で小劇場の運営に関わっていた男性は、こう覚えていた。「ああ、小さい団体でしたよ。役者も掛け持ちが多くてね、毎回同じ顔ぶれというわけでもなかった。『視差』は、たしか、いつもより実験的なことをやろうとしていた回でした。演出がずいぶん凝っていたのを覚えています。ただ、客の入りは、正直言ってよくなかった。三日間やって、あの入りだと採算は厳しかったはずです」。
彼に、この公演がその後、噂話のもとになっているらしい、と伝えると、意外そうな顔をした。「あの芝居がですか。ずいぶんマイナーな公演でしたけどね。よく掘り起こしましたね」。
興行としては、どこにでもある地方小劇団の一公演だ。数年で活動を終え、今ではまとまった記録もほとんど残っていない。ある芝居の設定が下敷きになって噂が広まる、という筋道は、それ自体はありふれている。舞台の役柄が、口伝えやネットを通じて広がり、いつしか「実在する怪異」として語られるようになる。そういう例は、探せばいくつも見つかる。