凍死 電話 風習 第1回/全4回 2026.07.11

暖房の効いた部屋で、父は「凍死」していた ——遺品の行李から出てきた昭和の綴りと、四十年間、毎晩午前二時十四分に鳴り続けた一本の電話

父の四十九日を終え、遺品の整理を始めたという男性から、一つのテキストファイルが編集部に寄せられた。ダム湖に沈んだ集落と、ある家に代々伝わる風習をめぐる「記録」である。長い記録のため、原文のまま、全四回に分けて掲載する。

構成・ミソサザイの巣編集部 / 投稿資料より

遺品の行李から出てきた、昭和の家系記録の綴りと古い鍵束。懐中電灯の光に照らされている

遺品の行李から出てきた、昭和三十五年の「家系記録」と鍵束。(イメージ)

受理
EXHIBIT

A警察署 行方不明者受理関係綴(抄)

行方不明者届受理票
受理年月日昭和五十六年十月九日
届出人梶 邦夫(三十) A町K
届出人と対象者の関係
対象者梶 澄江(二十六) 女 A町K(届出人と同居)
届出の要旨
本年九月下旬、東京方面へ就職のため転居すると言い残し家を出たが、その後連絡がない。転居先・勤務先いずれも不明。所持金若干、着替え等を持って出た模様。届出人によれば、対象者は家を出るまで平素どおりで、持病等もなかったという。事件性を疑わせる事情は特にない。
立寄先・交友関係
届出人「心当たりなし」。対象者は普段より交際範囲が狭く、町外に知人はほとんどないという。
備考
届出人より、対象者は以前から都会での就職を希望していた旨の申立てあり。A町Kは本年、S川ダム建設に伴う移転対象地区であり、当該世帯も移転を控えている。

行方不明者届取下げ書
取下げ年月日昭和五十六年十一月一日
届出人梶 邦夫
取下げの理由対象者本人より、届出人あてに就職先が決まった旨の連絡があった。所在は確認できたため、捜索の必要がなくなった。
担当者所見
届出人来署。対象者本人からの連絡があったとして届の取下げを申し出た。連絡の手段・対象者の現住所については届出人も「詳しくは聞いていない」とのことで確認できず。本人の来署・書面による確認は得られなかったが、事件性を疑う事情もないため、届出人の申立てにより受理を取り消す。

移転対象地区につき、当該世帯は昭和五十七年春までに転出予定。

EXHIBIT

S川ダム建設誌/A町のあゆみ(抜粋)

〔第四章 水没地区と住民移転〕

S川ダムは、たびたびの水害と、下流域の利水・発電を目的として、昭和五十年代に建設が本格化した。堤高約九十メートル、総貯水容量は県下有数の規模である。昭和五十七年春の湛水開始により、上流のA町K地区ほか三集落、およそ四十戸が湖底に沈んだ。

K地区は、S川の最上流部、両岸を険しい崖と山に挟まれた谷底に位置していた。日照時間が極端に短く、冬季は昼でも薄暗く、農地に乏しい土地であったと記録される。古くから人の出入りが少なく、独自の風習を色濃く残す集落として、一部の民俗研究者に知られていた。移転にあたっては、この地の閉ざされた地勢が、かえって住民の結束と、移転交渉の難航を招いたとされる。

住民移転は昭和五十四年から五十六年にかけて行われた。補償は、公共用地の取得基準に基づく通常補償のほか、移転先での生活再建を図るための各種加算があった。当時の記録には、世帯の事情に応じた建て替え費の臨時的な計上について、県と地元の間で個別の折衝が重ねられた旨が残されている。

〔第五章 竣工〕

昭和五十七年五月、竣工式が挙行された。式典には関係者約二百名が出席した。旧K地区の住民有志により、湖を望む高台に、水没した集落を記す小さな碑が建てられた。碑には旧住民の姓が刻まれているが、諸般の事情により、刻銘を辞退した家もあったという。

なお、渇水期には湖の水位が大きく下がり、湖底に旧集落の石垣や家屋の基礎の一部が現れることがある。近年は少雨の年が続き、露出する範囲が広がっているとの報告がある。旧住民の高齢化に伴い、往時を語れる者は年々少なくなっている。

父が死んだのは去年の十二月だった。

見つけたのは、週に一度だけ様子を見に来ていた家政婦さんだ。朝いつものように合鍵で入ったら、父が自室の椅子に座ったまま、こと切れていた。連絡を受けて私が駆けつけたときには、もう救急も警察も来ていて、部屋の中は私が子どものころに見たのと変わらない、片づきすぎた父の部屋のままだった。ただ真ん中に、白い布をかけられた父がいた。

その部屋が暖かかったことを、私はよく覚えている。エアコンの設定は二十四度。石油ファンヒーターも別につけっぱなしで、灯油はまだ半分残っていた。窓は閉め切ってあって、暖房のこもった少し埃くさい空気だった。それなのに父は低体温症で死んでいた。

救急の人だったか、あとから来た医者だったか、局所的な、という言葉を使った。部屋も手足も暖かいのに、身体の芯だけが、まるで氷水に浸けたように冷えていたという意味らしい。そんなことがあるんですか、と私が聞くと、まれにあります、高齢の方だと、と相手は言葉を濁した。持病はなかった。前の晩に電話で話したときも、いつもどおりだった。年の瀬の予定を二言三言。司法解剖まではいかず、病死ということで片がついた。

納得はしていない。けれど書類の上では、父は普通に寿命で死んだことになっている。

父とは長いこと深い話をしていなかった。母は私が小学生のころに家を出て、それきりだ。父はこの十年ほど一人で暮らしていた。無口な人で、昔のことは何も話さなかった。父の郷里が私の生まれるより前にダムの底へ沈んだ集落だということも、私は成人してから戸籍を取り寄せる用があって初めて知ったくらいだ。父はその土地の話を生涯一度もしなかった。聞いても「もう、ない土地だ」と言うだけだった。

四十九日が過ぎて、家の片づけを始めた。長男は私だけだから私がやるしかない。妻はいないし子もいない。会社は忌引きのあと有給をいくらか足して、しばらく通っていない。夜、誰もいない実家に一人でいると、冷蔵庫のうなりや建てつけの軋みが、やけに大きく聞こえた。

物置から古い行李が三つ出てきた。桐の、ずいぶん古いものだ。蓋を開けると湿った紙の匂いがした。黴と埃と古い墨の混ざった匂いだ。中身は昭和の紙の束だった。役所の綴りのような硬いもの、封筒に入ったままの手紙、変色した写真、大学ノート、家計簿のようなもの。それからいちばん下から、古い携帯電話が一つ出てきた。折りたたみ式の、傷だらけのガラケーだ。父が晩年まで使っていたのは知っていたが、こんな古い機種だとは思わなかった。電池が切れているのか画面は暗いままで、あとで充電してみようと思って、そのまま机の上に置いた。

放っておけば燃えないゴミに出すだけの紙だ。けれど捨てる前に一度、中身を見ておこうと思った。というより、父のあの死に方がどうしても頭から離れなかった。暖かい部屋で芯だけが凍って死ぬ。そんな死に方の理由がこの古い紙のどこかに書いてあるなら知りたかった。理由というのは、たとえば隠していた持病とか、そういうごく普通の理由のことだ。私はそのつもりだった。

それでスキャンすることにした。会社の資料をデジタル化するのに使っているスキャナーが手元にあったから、それで紙を一枚ずつ取り込んで、日付を読み、ファイル名をつけてフォルダに放り込む。行李の中身は順番がばらばらだった。誰かが一度、中身を全部出してまた適当に戻したような乱れ方をしていた。だから日付のあるものから拾って、時系列に並べていくことにした。

作業としては単純だ。頭は使わない。紙の傾きを直し、影が出ないように押さえて取り込む。日付を探す。読めなければ拡大する。ファイル名をつけて保存する。その繰り返しだ。身内の、けれど私の知らない人たちの生活の記録を勝手に読んでいるという後ろめたさは、最初の晩だけあって、二晩目には消えた。事務作業になると、書いてある中身よりも、日付が読めるか、まっすぐ取り込めるか、そちらばかりが気になるようになる。

一日に十枚か二十枚。夜、実家の父の部屋で、まだ父の匂いの残る椅子に座って、少しずつ進めた。

今のところ分かったことは何もない。ダムの補償がどうこうという手紙がやたらと多い。金の記録を追っていけば、父の生家がどういう家だったかくらいは分かるだろう。父の死とはたぶん何の関係もない話だ。それでも始めた以上は最後まで並べるつもりでいる。

このファイルはそのための整理用の覚書だ。誰かに見せるものではない。