紙を並べるうち、東京へ就職したはずの叔母・澄江が、四十年前にほとんど痕跡を残さず消えていたことに気づく。その晩から、部屋の外で「水を歩く音」がしはじめた。谷には、板で塞いだ一軒に人を一人「縫い止める」風習があったという。
地方紙連載『消えゆく谷の風習』より(第七回)
やがて湖底に沈むというK地区を、この連載のために幾度か訪ねている。今回はこの谷にだけ伝わる、少しばかり薄気味の悪い言い伝えについて記しておきたい。眉唾の類ではあるが、郷土の記録として、土地が水に沈む前に書き留めておく値打ちはあろうかと思う。
土地の古老は総じて口が重い。よそ者の私が風習のことを尋ねても、たいていは笑ってはぐらかされる。それでも幾度か通い、酒の一つも酌み交わすうちに、ぽつりぽつりと漏らしてくれる者があった。
——この谷には明治のころまで、決して掘り返してはならぬとされる場所があった。ところが御一新のあと、道を通すの鉱脈を探すのと外から人が入るようになって、そのうちの一人がうっかりそこを掘り返してしまった。すると、どうなったか。「家に入れんようになった」と、その古老は真顔で言った。外から見ればいつものなんの変哲もない家なのに、一歩上がり込むとどうしても玄関に戻れぬ。振り返っても、そこにあったはずの土間がない。奥へ奥へと見知らぬ部屋がどこまでも続いて、出られなくなる。そういう家が谷にいくつも出たのだという。
もちろん真に受ける話ではない。日の差さぬ谷の夜道の心細さや、この地に特有の濃い霧が生んだ錯覚の類であろう。あるいは山の毒気に当たって方角を見失った者の譫言かもしれぬ。
だが、この土地の言い伝えが真に面白いのはここからだ。谷の人々はこの「戻れぬ家」を放ってはおかず、力ずくで鎮める術を編み出したというのである。曰く——一軒を選ぶ。その家の窓も戸も板で幾重にも塞ぎ、内と外とを完全に断つ。そしてそこへ人を一人入れる。それから外に立った年寄りが、決まった拍子でこつ、こつ、こつと木を打ち鳴らしながら、低く呪文のようなものを唱えるのだという。そうやってあの「戻れぬ」たちの悪いものを、その一軒の、その一人の内側だけに縫い止めてしまうのだと。
では、その中に入れられた人はどうなるのか。私がそう尋ねると、古老はそれまで饒舌だったのが急に黙り込んだ。しばらくして、ただ「あれは身内のいちばん軽い者がやるものだ」とだけ答えた。軽い、というのが身の軽さの意か、それとも命の軽重の意か、私にはどうにも測りかねた。尋ね返すのもはばかられた。
この「縫い止め」はいつでも行うものではないという。谷が大きく揺らぐとき——大きな普請のとき、飢饉や疫病の災いのとき、そして人がこの土地を離れるとき——数十年に一度、本家筋の裁量でひそかに行われてきたらしい。とすれば、ダムでこの谷がそっくり水に沈むというのは、住民にとってまさに、いにしえより最大の「大きく揺らぐとき」なのだろう。
——実は、これを書くのを少しためらった。近ごろ、本家筋にあたる谷でもいちばん古い一軒が、「地下から湧く水を止める工事だ」と称して奥の一間をひどく頑丈に囲っているという噂を耳にしたからである。窓を板で塞いでいるとも。まさかと思う。今は昭和である。ダムの補償で蔵でも改める気だろうと、笑い話にして聞き流すのが大人の分別というものだ。
迷信は迷信として、水の底に沈めておくのがよい。ただ、正直に書けば、この谷を一人で歩いていると、日の差さぬ底で時間の進み方だけが周りよりほんの少し遅いような、妙な心細さを覚えるのは確かである。谷の人が口々に「あの奥へは触れてはならぬ」と繰り返すのも、あながち理由のないことではないのかもしれない。取材の帰り、谷の口を出て日の光の中に立ったとき、私はようやく息がつけた。
データ書き出し 父・携帯(発着信履歴)
※父の携帯を充電したところ、電源が入った。以下は、端末に残っていた発着信履歴を書き出したもの。日時は端末の表示のまま。
- 0001息子
- 0002A町 農協
- 0003内科クリニック
- 0004ガス
- 0005新聞店
- 0006タクシー A町駅前
- 0007寺(法事)
- 0008梶(本家・空き家)
| 日付 | 時刻 | 種別 | 相手 | 通話時間・状態 |
|---|---|---|---|---|
| 2025/12/07 | 21:40 | 発信 | 息子 | 00:03:12 |
| 2025/12/07 | 02:14 | 着信 | 1981 | (応答なし) |
| 2025/12/06 | 02:14 | 着信 | 1981 | (応答なし) |
| 2025/12/05 | 02:14 | 着信 | 1981 | (応答なし) |
| 2025/12/04 | 02:14 | 着信 | 1981 | (応答なし) |
| 2025/12/03 | 14:22 | 着信 | 内科クリニック | 00:01:40 |
| 2025/12/03 | 02:14 | 着信 | 1981 | (応答なし) |
| 2025/12/02 | 02:14 | 着信 | 1981 | (応答なし) |
| 2025/12/01 | 02:14 | 着信 | 1981 | (応答なし) |
| 2025/11/30 | 02:14 | 着信 | 1981 | (応答なし) |
| … | ||||
| 2025/11/15 | 10:05 | 発信 | A町 農協 | 00:04:51 |
| … | ||||
| 2019/03/22 | 02:14 | 着信 | 1981 | (応答なし) |
[送信メッセージ] なし
父の携帯が鳴りはじめた。
充電したら電源の入った、あの古い携帯だ。中身を確かめようと思って机の上に置いたきり、しばらく放ってあった。それがある晩、机の上で鳴った。
聞いたこともない耳障りな電子音だった。今どきの携帯はどれもきれいな着信音を鳴らすが、あれは違った。ジーという濁った音の混じった、安っぽくてやたらと大きい音。折りたたんだ本体が机の上でびりびり震えて、少しずつこちらへにじり寄ってくる。私は椅子から飛びのいた。
震える本体の、外側の小さな窓に白い字が光っていた。
1981。
壁の時計を見た。午前二時十四分だった。
鳴りやむまでずいぶん長かった。私は部屋の隅でそれをただ見ていた。手を伸ばせば届くのに伸ばせなかった。やがて音はふつりと止んだ。触ってみると本体はひんやり冷たかった。まるで今の今まで冷蔵庫にでも入っていたように。
私は父の履歴をもう見て知っていた。父の携帯には何年も前から毎晩この時刻に「1981」からの着信があった。何百回、何千回とあって、そのすべてに「応答なし」と記されていた。父は一度も出ていない。ただ来るにまかせて放っておいた。父はこの電話には絶対に出てはいけないと知っていたのだと思う。だから私も出るものかと思った。
けれどそれからは毎晩だった。二時十四分になると、あの携帯が机の上でびりびり鳴ってこちらへにじり寄ってくる。私は引き出しの奥にしまった。タオルで二重にくるんだ。それでも鳴った。布を通しても音は少しも小さくならない。むしろ部屋のどこにいても、耳のすぐそばで鳴っているように聞こえた。近所から苦情が来てもおかしくない音量なのに来なかった。たぶんあの音は私にしか聞こえていない。
そして出ない夜が続くほど、水の音は近づいてきた。
はじめは廊下の外だった。それがいつのまにか玄関の内側でするようになった。次の週には部屋の中だった。今は私が寝ているベッドの足元のあたりでする。ぴちゃ、ぴちゃと、濡れた素足でその場に足踏みをするように。振り返っても何もいない。誰もいない。ただフローリングのそのあたりだけが、いつもじっとり濡れている。拭いても朝にはまた濡れている。こつ、こつ、こつと木を叩く音は、もうすぐ耳のそばでする。
眠れなくなった。会社は辞めるしかなかった。昼も夜もあの二時十四分のことばかり考えている。あの携帯がなぜ鳴るのか。「1981」とは何なのか。それは叔母がいなくなった年だ。父があの不可解な捜索願を出して取り下げた年だ。父の家が何かをした年だ。
この電話に出れば、あの年に本当は何があったのか、叔母がどこへ消えたのか、何か分かるかもしれない。
そう思うようになったのがいけなかった。毎晩あの数字を見せつけられているうちに、私はいつのまにか知りたい側の人間になっていた。父は知る必要のない側の人間だった。だから出なかった。でも私は違う。私は知りたかった。あの家計簿の娘がどこへ行ったのかを。
その晩、二時十四分に携帯が鳴りだしたとき、私は逃げなかった。震える本体を両手で拾い上げた。ひどく冷たかった。氷のように冷たいのに、なぜか内側から脈打つように、かすかに熱をもっていた。生き物の腹のようだった。
私はそれを開いて耳に当てた。
はじめは音だけだった。低い、腹の底に響くようなうなり。地鳴りとも遠い滝ともつかない。その向こうでこつ、こつ、こつと木を叩く音が規則正しく鳴っていた。すぐ耳の内側でするようだった。冷たい水の匂いがした。電話から青黒い澱んだ水の匂いがはっきりとした。
やがて声が聞こえてきた。
一人ではなかった。何人もの声がいっぺんに重なっていた。男の声も女の声も、老人のしわがれた声も、子どもの声も。それがばらばらに、けれどどれもひどく平坦に、抑揚もなく同じ言葉を、少しずつずれながら繰り返していた。何を言っているのか初めは分からなかった。大勢の人間が真っ暗な深い狭いところにぎゅうぎゅうに詰まって、口だけを動かしている。そんな絵がなぜか頭に浮かんだ。
耳を澄ますうちに、切れ切れに言葉が聞き取れるようになった。
さむい、と誰かが言った。さむい、さむいと。それに重なってもっと若い女の声が、あにさん、と言った。兄さん。私は背筋が凍った。別の声が、もちものいらないから、と言った。荷物はいらない。とうきょう、とまた別の声が言った。東京。それからその若い女の声が独りごとのように、いまどのくらいひろい、とつぶやいた。今、どのくらい広い。
重なっていた大勢の声が、話すうちにだんだん寄り集まって溶け合って、最後には一つの平坦な女の声になった。若いとも年寄りともつかない、抑揚のない、けれど確かに一人の女の声だった。
その声が私の耳のすぐそばではっきりと言った。
みずが、ひいた。
つぎは、あんたの、お部屋の、番だよ。
そこで切れた。
気がつくと私は床に座り込んでいた。携帯は手から離れて少し先の床に転がっていた。壁の時計を見ると、まだ二時十四分だった。針は動いていなかった。ずいぶん長く話していたはずなのに。しばらく見ていると、時計はようやく二時十五分になった。
耳の奥でまだこつ、こつと鳴っていた。
部屋が寒かった。エアコンは二十四度で入れている。暖房の風はちゃんと生ぬるく吹いている。それなのに背骨の内側だけが、氷の棒を差し込まれたように冷たかった。手も足も暖かい。芯だけが凍えている。
父が死んだときの、あの「局所的な」というやつだ。
私は出てしまった。父が四十年一度も越えなかった一線を、たった一晩で越えてしまった。あの女が誰なのか、私はまだ知らなかった。会ったことも声を聞いたこともないはずだった。それなのに切ったあとも、動悸がいつまでも止まらなかった。